海外FX業者では両建てにコストがかからない業者が何社か存在しますが、XMはそのうちの代表的な一社ということができます。
通常ポジションを持てば必ず応分の証拠金が必要となりますが、買いポジションと同額の売りポジションを作った途端に「証拠金が一切必要なくなる」のがその大きな特徴となります。
国内でも両建てを行えるFX業者はもちろん存在しますが、片道分だけの証拠金が必ずかかるところも多く、酷いところになると「往復分の証拠金を要求」したりするところもあります。
また、両建てをした途端にその分だけ決済されてしまうところもあり、本来の両建てのメリットを存分に利用できるのはXMのような海外FX業者が断然有利な存在となります。
今回はこの「両建ての上手な使い方」についてご紹介していくことにします。
最初から両建てで売買するのは邪道
よく海外FX業者の利用サイトにボーナスだけを利用して「両建て」で動いた方向のポジションだけ伸ばし、反対をすぐ損切して利益を出すといった話が登場することがあります。
たしかに理論的にはそうしたやり方もありますが、そもそも最初から両建てで売買をするというのはあまりにも打算的なやり方であり、とても感心できるものとは言えません。
FX売買の歴史を見てもこの手のやり方で「財を築いた人など存在しない」ということから考えても邪道であることは間違いありません。
やはり利益の出る方向を見定めて最適なエントリーポイントでエントリーし、確実に利益がでたところで利確するというのは本筋の売買法となります。
逆に間違った方向に動いたらしっかり「損切り」をして、闇雲に証拠金を減らさないというのが正しい売買の法則です。
確かに為替取引は上にいくか、下にいくか、しかないわけですから半分の確率を有効利用する手はあります。
しかし、ひとつの取引に対して倍のスプレッド(取引手数料)がかかり、しかも片方は常に含み損決済を抱えるとなると、儲けを出す手間は通常の倍以上になり非常に効率が悪くなる方法でしかありません。
「両建て」が損をしない方法であるというのは確かですが、上下に小刻みに動くようなタイミングで、こうしたことをやってしまいますと本末転倒です。
含み損のポジションを切った途端に相場が元に戻って結局赤字になるなどといったことも十分にありえますから、決してベストプラクティスとは言えないのが正直なところです。
証拠金を減らさない両建て方法
888倍のXMのハイレバレッジFXでは、こうした両建てをさらにうまく使う方法が存在します。それが損切りの代わりに「反対売買をして証拠金自体を減らさない」という手法です。
買いなり売りなりで先行して建てたポジションが想定していた方向と逆に動き出した場合には、とにかくすぐに損切りするのがハイレバレッジ取引の基本中の基本となりますが、損切りをした途端に証拠金は減少してしまいます。
これを避けるために同額の反対売買をしますと損失は確定するものの、その損失を維持するためにかかる証拠金コストがなくなりますので、元の証拠金総額はそのまま保全されることになるのです。
したがって新たなポジションを作って、少しずつこの確定損失を埋めていき最後に損失をすべて解消してしまえば、初期に投入した証拠金を一切減らすことなく売買を継続することができるのです。
しかもXMの場合10分以上ポジションを保有さえしていれば、買いと売りのポジション分の「ロイヤリティー」を入手することができますので、これもボーナスクレジットとして活かしていくことが可能でかなりお得です。
一旦確定した損失部分の売りと買いのポジションは無闇に外すことを考えるよりも、最後まで維持してむしろ証拠金をフル活用して損失の穴埋めに使うのがお勧めとなります。
むやみに売りと買いのポジションの片方を利確すると、前よりもさらに大きな含み損になるというケースもあり、取引はますます難しいものになってしまいます。
とにかく「両建て」を使う時はできるだけシンプルにして、複雑な取引に追い込まれないようにするのが一番です。
証拠金を無闇に減らさないことが重要
この方法は、私自身実際にここ8年から9年近く実践して、かなり上手くいっている手法です。
もちろん損失を出さないようにするのがベストではありますが、10回取引をすれば3回や4回は必ず損失を出すことがありますので、こうしたやり方で補正して証拠金そのものを無闇に減らさないというのはかなりお得な売買法となるのです。
同じ両建ての使い方でも最初から「売りも買いも立てる」などという方法とは一味違う実利的な方法ということができます。
ハイレバレッジ環境の取引というのは、通常の25倍程度のレバ環境の取引とは著しく違う側面をいくつも持っています。そうした部分をいかに克服してプラスに働かせるかを常に考えて取引していくことが必要になります。
ハイレバレッジ取引はあまりその極意が語られていませんが、やはり通常とは異なる気の配り方が必要になるものなのです。